戦略経営研究所
株式会社エス・ケイ・ケイ
Strategy Management Laboratry Inc.
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河野 通
凸版印刷45年を振り返って
凸版印刷45年を振り返って
かけだし時代
お年玉付き年賀葉書
株券印刷のダンピング
高度成長と株券ラッシュ
コーラン印刷
”ひかりのくに”の編集ミス
大阪工場での特印の開業
大淀工場活版部門の再建
紙器 サントリー・カルピス・アサヒビール
高度成長時代 花王の成功
伊丹工場建設の成功と失敗 新技術導入の条件
小判鮫商法の成功
人員整理 本当に社員にとっての幸せとは
仕様の標準化と品質保証 CADへの準備
再び大阪へ
再び伊丹へ
工場長として
人手不足時代と生産方式の転換
新工場 紙カップへの再参入
福崎工場の建設 オイルショックのはざまで
建物と設計事務所ならびに工場緑化
チューブ部門の構築と撤退
プラスチックビジネスについて
一次容器への参入(EPパックの開発)
Jカップ容器の開発と品質保証
TraceabilityとRepeatability
Know Can Will 教育訓練・知識技能・能力意欲
QCと市川先生
工場長の任務
事業部長・役員として
Invisible Ghost
80年代初めの営業状況
グリコ・森永事件 三点接触法
JAL御巣鷹山墜落事故とハウス浦上社長の死
日本酒業界の席捲 EPパック市場確立
凸版パッケージツアー
滝野工場の建設
関西支社長として
1990年 花と緑の博覧会
ICカード実用化
トッパンフェアの開催
藤田社長の就任と本社への転勤
本社役員として
研究所のリストラ
本社技術開発部のリストラ
工場用地の件
MITメディアラボ マルチメディアへ
DRUPPAについて
阪神大震災と危機管理(藤田社長の対応)
振り返って
1998/5
印刷 文化と文明とのかかわり
印刷 文化と文明とのかかわり
プロローグ
印刷文化論
情報革命は4回あった
文字の始まり
グーテンベルグの銀河系
写本
グーテンベルグ時代の印刷機
グーテンベルグの42行聖書
大印刷時代
大航海時代の地図
多言語対訳聖書
天正少年使節団
東洋の印刷文化
朝鮮の印刷
日本の印刷文化
百万塔陀羅尼
家康は活字人間だった
天正少年使節団とキリシタン版
江戸の印刷文化
活版印刷の再導入
本木昌造の活字見本
グーテンベルグ銀貨系の終焉
ホリエモンの挑戦
印刷技術論
文字活字
活字と母型
活字と活字棚
画像の製版
色とその再現方法
加色混法と減色混法
セネフェルダー 半導体基本技術の生みの親
調子の再現
石版多色印刷
写真術の登場
多色写真製版
コンピュータでできるようになったこと
デジタルで変わったこと
インキを紙に移すには
4版式のメカニズム
電子彫刻グラビア製版機
初期の印刷機
オフセット枚葉印刷機
オフセット輪転印刷機
グラビア輪転印刷機
フレキソ印刷機
スクリーン印刷機
フォトリソグラフィー技術
印刷インキ・関連技術の多様化
印刷技術の4大要素
版式毎の特徴と応用
印刷技術の応用で開拓された新分野
紙容器の材料の構成
印刷産業論
出版印刷と製本方式
商業印刷
証券印刷
包装印刷
建材印刷
事務用印刷
電子部品
おわりに
2007/2
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河野 通
1930年 兵庫県生まれ
1953年 京都大学工学部
工業化学科卒
1953年 凸版印刷入社
1988年 凸版印刷常務取締役
関西支社長
1993年 凸版印刷専務取締役
生産技術研究本部長
1996年 凸版印刷相談役
2000年 凸版博物館運営委員
2006年 退職
当研究所では以下の活動に協賛しています。
上智大学アンコール遺跡国際調査団
財団法人 科学技術融合振興財団
日本スカラベイニシアティブ
構想日本
メンバー用掲載内容
「週刊インテリジェンスダイジェスト」(坂本義実)
「アジア知財情勢(月刊)」(井口雅文)
「ワシントン情勢(月刊)」(多田幸雄)
「北京便り」(西村英俊)
「最前線シリーズ」(白金次郎)
各種調査レポート(前田勲男)
その他