凸版印刷とともに60年
原著は元凸版印刷社長・会長の鈴木和夫氏の個人出版の「80歳のラブレター 妻へ、そして後なる人たちへ」(2006年6月発行)。その第1章「私の歩いてき道」の中の鈴木氏が凸版印刷に入社した1945年から社長を退任した1991年まで、原著の82~154ページを取りまとめ電子化したものである。取りまとめ、電子化については、凸版印刷関係者に多大なご支援を頂いた。(前田勲男)
変わるものと変わらないもの
私は1980年代半ば頃から、海外や国内を問わず、様々な機会を見つけては、いろんな人たちは向かって話してきた。ヨーロッパでは豪華なホールでの講演もあれば、国内では下町の小学校の講堂で、子供たちを相手に文字や印刷の話をしたこともあった。
そしてその件数は、合計すると国内で約80回、海外でも約10回にのぼり、その多さにはわれながら驚いている。
元来、話すのは得意なほうではない。しかしそのために話す内容を事前にしっかりまとめておいたのが良かったのかもしれない。基本的にすべての講演の草稿が残っている。 もちろん海外での講演は英語でこなしたが、草稿は日本語で書いた。
この小冊子はその中から、時代のダイナミックな動きがよく分かるものを選んだ。また話した当時のまま正確に再録した。このことによって当時の私たちが置かれた状況、その中での凸版印刷が、そこで私がどのように考え、どのような行動をとろうとしてかが有りのままに分かると思ったからである。
もちろん今となっては、結果的に間違った認識、間違った解釈などが数多くある。しかし当時の私の印刷産業や文化に対する危機感、あるいは変化の激しい時代にどのように考えていたかを読み取っていただければ幸いである。
ただ私自身は、このように昔の通信簿が突然出てきたようなこの小冊子に対しては、浅学であり非才であったことをご披露することになり、汗顔の至りである。
ここに載せた一連の講演をした1980年代から1990年代にかけては、われわれを取り巻く社会環境や情報インフラが大きく変わっていった時代である。 私の話の背景には、一言で言えば「アナログからデジタルへ」という変わっていくものと、そして「印刷あり、文化あり」という変わらないものとの間の、往復運動に尽きるものと思われる。(「鈴木和夫講演録抜粋」(2006年6月)より)
変わるものと変わらないもの Ⅱ
当ホームページの公開情報の全文検索 |
<
鈴木和夫
1920年 東京生まれ
1942年 東京商大予科を経て
学部(現一橋大学)入学
1943年 学徒出陣
鹿児島航空隊
大井航空隊を経て
州 崎航空隊で
写真判読官
として終戦を迎える
1945年 凸版印刷入社
1960年 凸版印刷外国部長
1967年 凸版印刷取締役
1973年 凸版印刷常務取締役
凸版印刷専務取締役
を経て 東京書籍社長
1978年 凸版印刷副社長
1981年 凸版印刷社長
1991年 凸版印刷会長
1993年 凸版印刷相談役
1998年 凸版印刷特別相談役
2006年 退職
|